- 夢を聴かせて -
生田川摩耶【群青成層圏】 04.17UP

悠さん、たまには夜に外出しましょうよ…と、
岩瀬の誘いに応じてやってきた石川は、潮風に吹かれて、猫の額ほどの展望台に立っていた。
あれよあれよと言う間に、レンタカーに乗せられ連れられた場所は、
東京からは2時間ほどかかる海沿いの寂れた名もない一角。
今日が平日だからか、それとも夜も更けたせいかは判らないが、
時たま通りかかる車のライトだけがわずかに人の営みを物語る。

途中、どこへ行くかとか、何をするのかなど、石川はありきたりに尋ねたりもしてみたが、
岩瀬はただ静かに笑って、見せたいものがあるとだけ口にする。
手際よくレンタカーを借りてきたところを見ると、事前に計画を練っていたのだろう。
こういうときの岩瀬は恐ろしく意地が悪い。
どうせいくら言っても白状させるなどできない。
石川は大人しく引き下がり、静かに車窓に目をやった。

「着きましたよ。」

岩瀬に促されるままに降りてみる。
暗い。そして静かだ。
都心ではとても味わえない新鮮なマイナスイオンの空気が、二人を包む。

「ひんやりして気持ち良い…。」
「少し車内の暖房を効かせすぎましたか…?」
「いや、空気が新鮮で美味しい。」

素直に気持ち良い感じたのか、石川の口からするりと言葉が漏れた。
それが余りにストレートだったせいか、岩瀬の石川を気遣う視線に陰りは見られなかった。
二人の間には言葉はなく、ただ潮騒が響く。
闇夜に黒く広がる海を眼下に眺めれば、白く弾ける無数の水泡が浮かび上がる。
低く響く波の音が、今日の海は穏やかで、明日はまた晴天が続くこと示していた。
遠くに目をやれば、空と接するところに微妙に地球の弧を描く水平線。
そして、その上に延々と広がるものは、人口の明かりに遠慮することなく気ままに輝く無数の星空だった。

「今日はね、こと座流星群が綺麗に見える日なんです。」
やっと、岩瀬が種明かしをした。
「流星群?」
「ええ。4月22日…今日の19時頃が一番のピークなんです。
本当はそれに間に合わせたかったんですが、やっぱり仕事上がりでは無理でした。
でも、まだ見れるはずですよ。明るい軌跡なんで、きっとすぐに判るはずですよ。」

岩瀬は星に詳しい。
父親の星物語を聞いて育ったと言ってはいるが、星図や天文ガイドなどに目を通しているところを見ると、
もはやそれはきっかけに過ぎない。今では立派な趣味へと成長したのだろう。
自分も興味を深く探るものを持てば良かったと、今になって石川が引け目を感じてしまう所以である。

「そうなのか…どこから見えるんだ?」
「えっと…。ほら、あの北東の水平線の近くに、こと座があるのが判りますか?」
こと座は夏の星座だ。夜半近くになれば、やっと水平線から顔を出す。
ベガを目印にすれば良いだろう。
もっとも、今の時期なら遠くに遮るもののない場所で見ることが前提となるが。

低い角度で一際きらりと輝くO等星。それは石川の目でもはっきりと捉えられた。

「ベガだよな。あれ。確か七夕の織姫星。」
「そうです。綺麗でしょ。あれが季節が進めばどんどん天空高くに昇ってきますよ。
あそこを中心にして、流星群が見られるんです。」

きっと見事だと思いますよ…岩瀬が指で指し示した。

「俺、流れ星なんて初めて見るかも。お前は?」
「俺は昔、何度かあります。初めて見たときはきっと感激しますよ。」

…白い光が夜空を横切るんです。濁りのない冴えた白ですよ。眩しいくらいに。
それが目の前を予告もなく現れて、黙って通り過ぎるんですよ。
無愛想といえばそうですけど、見た後は、感動だけがじわっと溢れてくるんです…。

その時の気持ちを思い出しているのだろう。そう語る岩瀬の目は、夢を見るように熱い。
自分を見つめるときの熱さとはまた違うが、そんな彼にみるみる吸い込まれそうになる。
何とかその感情を伝えようとひたむきに語る岩瀬を見るたび、石川は懐の広い男だと思う。
何もかも優しく包む心の大きさ、尽きない愛情の深さは、まるでこの夜空のようだと。

そんな石川の視線を感じたのだろう。
急に岩瀬が石川を抱きしめた。

「もう、悠さん!そんな目で俺を見ないで下さいよ!」
「ばか!人目があるだろ。ここは外!」
そして、石川は、こういう気持ちに聡い彼をにくらしく思う。
きっと小さい頃から慣らされた彼の夜目には、赤面した顔などはっきりと見えているのだろう。

「大丈夫です。ここでは押し倒したりしませんから。でも…。」

誰も見ていませんから、これくらいは良いでしょ?!

…結局、すっぽりと抱き込まれた石川は、岩瀬の腕の中から夜空を眺めることになる。


「あれは判りますよね。おおぐま座の北斗七星。」
「あぁ、ほんとだ。あれは知ってる。俺でも判る。」
岩瀬の持ってきた星図を、わずかな明かりで照らして見ながら、石川はくすりと笑う。それは北天の目印。大空の柄杓。
「で、あの近くにある明るい星、判ります?!ほら、この星。」
「ん?!どれだ。…判りにくいけど、あれかな。あ、判った。今お前が何を教えようとしてるか。」

牛飼い座のアルクートゥス、乙女座のスピカ、獅子座のデネボラを線で結べば、春の大三角形と呼ばれる空の大きな図形となる。

「そうそう、さすがは悠さん!でね、あのてっぺんのデネボラの近くにある、大きな曲線は判りませんか?!」
「あぁ、見える。S字っぽい並びになっている奴だよな?!」
「そうです。あれが俺の星座…獅子座です。」

獅子座と言う時だけ…なぜかその時だけ、岩瀬はわざわざ石川の耳元で囁いた。
一体彼は判っているのだろうか。今どれほど顔が紅潮し、心臓が踊るように激しく鼓動しているかを。
いや、岩瀬は知っているからわざとやっているのだ。
全く、本当に彼の性根は歪んでる。石川は思う。
だが、それが自分限定であることも、また彼は確信していた。

その時、ふと石川の目の前を、ついと横切るものがあった。
あまりに突然に、何の前触れもなく、それは二人の視線を釘付けにして消え去った。

「!!」
「あっ!!」

あれは…もしかして、流れ星?!

「あ、見れましたね。流星群。すごく明るいなぁ。流れたのがよく判りましたよね!」
「ああ…。」
「ね。感激するでしょ?!」
「うん。お前の言った通りだ。」
二人顔を見合わせて、今し方恋の駆け引きをしていたことも忘れて微笑み合う。

でも、それはあまりに一瞬過ぎた。
石川は、ついついため息をつく。もし出来るなら、流れ星に願い事を唱えたものを。

「願い事なんて無理だ。あれが流れて消える間に3回も繰り返すなんて出来ない!」
「そう。俺もそう思います。だから星1個に願い事1回と限定して、流れ星3個を探してみようと思うんですけど。」
だから、今日期待してここに来たんですよ。
悠さんと一緒に願いを叶えようと思って。

光の乏しい暗い闇の中でも、岩瀬の濡れ羽色の瞳はきらりと輝く。
見れば引き込まれるのは知っていた。
…まただ。せっかく落ち着いた石川の心臓は、再びどきっと跳ねる。血がざわめくのが判る。

しかし、そんな石川の気持ちを知ってか知らずか、岩瀬は視線を逸らさずに彼の心に直接話しかけるように言った。

「でも、俺の一つ目の願い事はもう叶っているんです。」
「何を叶えてもらったんだ?」

−−悠さんの誕生日を一緒に祝いたい、悠さんの生まれた日を一緒に過ごしたい−−

「ちょっと早いけど、お誕生日おめでとうございます…悠さん。」

不意に岩瀬の顔が近づいた。
唇から、彼のありったけの心が注ぎ込まれるのを、石川は熱に浮かされた意識で感じていた…。


気温の下がった夜半の潮風が、火照った頬を撫でていく。
同時に、激しく燃え立つ心の炎を安らかなものに形を変え、優しさだけを溢れさせる。
心臓の鼓動も、今は派手に波打つことはなくなった。
声の震えも影を潜め、やっと岩瀬の瞳を見返すことができるようになったと、石川は感じた。
岩瀬の声に耳を傾け、そして彼と星空を交互に見遣る。
あれから幾つの流れ星を見ただろう。だが、願い事を唱える間もなく、それは飛び去って視界から消えていく。
何度も試み、その度潰えた。

「俺、やっぱり願い事はダメかもな。」
「これだけ見ても…ですか?!」
「うん。星の方がずっと逃げ足が早い。」

石川がはははと笑う。
だが、岩瀬は笑い飛ばさなかった。

悠さんの願い事は何? 夢は何?…こめかみにそっと口づけながら、低く尋ねる。
そんな岩瀬に緩慢な動作で応えながら、石川は囁いた。

「星に願掛けするより、お前に言う方が良さそうだ。」
「俺の方が役に立ちそうですか?」
「うん。俺の夢なんて簡単に叶うと思うから…」
「それは何?」
「多分お前と一緒だ…今年の誕生日も、来年も、再来年も…」

−−ずっとお前と一緒にいることだよ…−−


石川の想いが、夜空に弾け、星の彼方へと宙を駆けた。